あか牛の沿革
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肥後牛のルーツは、阿蘇のあか牛

阿蘇の大自然を母に、スイスのシンメンタール種を父にして、

大いなる素質を秘めた肥後牛は誕生しました。

 熊本のあか牛は、大げさに言えば明治の終わり頃に地球上に初めて姿を見せた牛です。 昔から阿蘇の原野に放牧されていた在来和牛は、赤毛あり、灰毛ありと色もバラバラで、 その上発育が遅く、体格も背丈110cm程度で体重300kgと、あまりにも小型でした。
  その頃明治政府は、全国各地で品種改良を奨励しており、 熊本県でもその取り組みが開始され、明治39年から熊本県立阿蘇農業学校の百瀬葉千助校長らが中心となり、 “夢のあか牛誕生”を目指し品種改良が始まりました。
  在来和種にスイス産のシンメンタール種を交配させ、試行錯誤の結果、 くろ牛と勢力を二分するような見事なあか牛が誕生しました。これが現在の肥後牛のルーツです。 この新しく誕生したあか牛は、肉質は在来和種の良質性を受け継ぎ、性質はおとなしく子育てが上手で、 誰にでも飼育でき集団行動性に優れていました。
  それから多くの先達者の手により改良が加えられ、くろ牛と比べても発育が良く、肉量もあり、 経済効率に優れた和牛となりました。